9.29.2012

数字というもの

私はあまり数字や順位に執着したことはなかった。いつも平々凡々と過ごしてきた。

しかしながら管理職なんかに就く/就こうとすると数字を意識しないではいられなくなった。毎日データとにらめっこし分析し、アクションを立てていた。これは向いていたらしく、作業そのものは楽しかったのでいいんだが。




意識しはじめたとき、イチロー選手を思った。
彼が今なぜああまで有名になり、讃えられるのか。
結果を出し続けているからだ。
彼がそうである限り、大げさでなく経済が動く。彼はもう歴史的偉人・世界のVIPの一人なのだ。
結果を出し続けるという裏に、効果的なトレーニングや、体調管理も厳しくやっていることもあるだろう。
ただ、彼が多分ゴールとしているのは「結果を出す」ことではなく、「野球を髄まで探求する」ことなんじゃないだろうか。だからあの大物感を醸しながらも永遠の野球少年のような無邪気な笑顔が垣間見える。

あとはお笑い芸人を思った。
大して面白くないくせによくテレビに出るよな、と思う人こそがすごいことに気づいた。
面白くなくて、みんなにいじられているから、たいそうな人ではないと取りがちだが、面白くないのにテレビに出ているということは、面白いからテレビに出ているよりも、裏で非常に貪欲に立ち回っているということなのだ。
テレビに出続けると、認知度が高まる。
面白くないギャグも、やるとありがたがられるようになる。
貪欲さの勝利だ。

試しに一位になる、頂点に立つというのはどんな気分か味わってみたくなった。
とあるレビューサイトに人数の少ないカテゴリがあったので、そこでレビューを書きまくった。二位からは結構高い壁でなかなか越えられなかったが、文章の質を落とさず量も増やしてしばらくしてやっとカテゴリ一位になり、…なるほど気持ちよかった。
努力が報われる瞬間というのも味わえた。
多くの人に承認してもらえ、非常に気分がよかった。自分のレビューに対し、いいね!がついてポイントになるので、自分の思いが認められて嬉しいのだ。
この気分のよさというのは自らをいい方向に持っていく類いのものと思う。

小説を書くにしても多くの人に読んでもらいたいという思いは自分で否定してきた。
身近な家族なんかには絶対読まれたくないのだが、ネットに公開するからには全世界に向けているわけなので、本当は読んで欲しいくせにあまり読まれなくてもいいや、みたいなちょっぴり卑屈な気持ちがあった。アクセスのない言い訳にしていたようにも思う。
ただ読んでくださいアピールが激しいのはやはりどうかと思うので、そんなことをしなくても多くの人に読まれるよう、このブログの充実を図りたいものだ。

オリジナル小説の活動は、そのようにしてとにかく読んで頂くためにやっていく。貪欲と言われて大いに結構。

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